第52回 欲求の本質に迫る 「スマホが飛んでしまい他人の顔面に直撃するリスク」

今回は、電車に乗っている時にスマホを飛ばしてしまったことについて書いてみます。
先日、電車の中で立ったまま両手でスマホを操作していたのですが、目的の駅に着いたのであわてて操作を止めポケットしまおうとしました。ところが、あわてていたため手から滑り落ち、瞬間さらにあわてて下で受け取ろうしたらキャッチできず、斜め前に座っている人に飛んで行き顔面を直撃してしまいました。


顔面を直撃したため、あわててお詫びしました。幸い優しいお兄さんだったので大事には至りませんでした。
相手が、切れやすいおじさんだったら、どうなっていただろうと想像すると少し怖くなりました。
私の指先は指紋が薄く滑りやすくなっており、よくモノが滑り落ちます。すなわち、スマホが飛んでしまい顔面に直撃させてしまうリスクが大きい指先ということになります。


このような指先を持つ私が上記のような経験をした後、「リスクがあるから電車でスマホを使うことを止める」かと言うと、恐らくは止めることはないと想像します。事実、その日から普通に電車で使っています。リスクを恐れることはないということです。
階段から落ちて前歯を折った人も、リスクはあっても階段を降りることは止めることはなく、階段を降りるというチャレンジを続けるでしょう。
ところが、新規事業の場合「リスクがあるから階段を降りることはしない。平面しか歩かない」というようなことがあるのです。
たとえば、某メーカーが健康系のサービス店舗を立ち上げる際、店舗でサプリメント販売しようと提案したのですが、「サプリに異物が入っていて、消費者からクレームが来たらどうすんだ」という意見が出て、サプリを置くことを止めました。新規事業で貸会議室を行なおうした企業では、「椅子から落ちてケガしたら誰が責任とるんだ」という意見が出てもめました。
しかし、飲食店を開店する際、「椅子から落ちて転ぶ危険があるので椅子を置くのを止めよう」、「テーブルの脚につまずいて転ぶと大変なことになるので、テーブルは天井からの吊り下げ式にしよう」と考える人はたぶんいません。
さて、何故サプリを置きたくないのでしょうか。何故椅子から落ちることを心配するのでしょうか。それは、知らない世界への“小さな恐れ”ではないかと思われます。


恐れていることが不快であり、快適ゾーンに戻りたいために普通では考えない心配をしてしまうのではないでしょうか。
知らない世界への“恐れ”は欲求の本質と関係しており、このことが新規事業のテーマ評価に影響を及ぼしているということではないでしょうか。

第50回(2018.08.26)  「人は理解できないことは否定する」

 「人は理解できないことは否定する」という傾向があるようです。もちろん、理解できないことに出会った時、「時間と労力をかけてもそのことを理解しよう」、あるいは「理解できない理由は何なのだろうか」ということを追求する人もいます。しかし、多くの人は否定してしまうようです。

たとえば、コスプレも今ではひとつの文化のようになっていますが、まだマイナーな頃は、「あの人たち、何考えているの」、「他にやることないの」ということを言った人たちは多かったと記憶しています。単純に否定する人たちがいました。

 自分で理解できないことを否定することは難しいか簡単かと問われれば、簡単な作業のように感じます。最後には「自分は嫌いだ」と言って好き嫌いの世界に持ち込めば、それで終わりすることができます。

では、人は何故理解できないことを否定する傾向があるのでしょうか。それは、否定することで理解できない自分を納得させて、心を安定化させるためのようです。すなわち、理解できないことがストレスを産み、そのストレスを否定することによって解消してしまうことができるためです。

実は、このような傾向は、新規事業開発の分野にも存在しているように感じます。

 「新規事業テーマの提案を社内で行なっても、ほとんどが否定される」という話をよく耳にします。そして、否定された担当者からは「否定することは簡単だよな」ということもよく聞きます。

 テーマを否定する理由は様々ですが、中には「テーマが理解できないから否定する」というケースもあるのではないでしょうか。たとえば、メーカーの新規事業担当者が、20代後半の女性向けの健康サロン事業を社内に提案した際に、「自分の娘に聞いたとしても、このサロンを利用したいとは絶対に言わない」というような表現で否定されることがありますが、これなどは、評価する側がテーマを理解できず、そのことで心が不快なっていることが背景にあると推察されます。

 人は、体や心が不快な方向に変化した時には、それを快適に戻す機能が備わっており、それは欲求の本質でもあります。この機能は、健康を維持するには極めて大切な機能です。しかし、イノベーションという不快な作業を推進するにあたっては、障害になる機能という見方もできます。

 イノベーションが難しい理由のひとつには、「心を快適に戻したい」という欲求の本質が影響しているのかもしれません。

第49回(2018.03.23)  「もぐもぐタイムのお菓子を探し出す原動力」

 多くの感動と話題をもたらした平昌オリンピック・パラリンピックですが、大きな話題になった中に、カーリング娘の“もぐもぐタイム”がありました。今回は、このもぐもぐタイムについて考察してみたいと思います。

 もぐもぐタイムで話題になった要素のひとつに、“食べているお菓子は何だ”ということがありました。このお菓子は、北見市の返礼品のひとつにもなっている清月の「赤いサイロ」というチーズケーキでした。これをきっかけに注文は10倍以上になったようです。

実は、カーリング娘に遡ること2カ月ほど前にもうひとつ話題になったもぐもぐタイムがあります。それは、X JAPANのYOSHIKI様のもぐもぐタイムです。

 今年のお正月に「芸能人格付けチェック!これぞ真の一流品だ!2018正月スペシャル」という番組が放送されたのですが、その番組に中でYOSHIKI様が待機中に食べていたお菓子は何だということがネットで話題になりました。そのお菓子は、“銀座あけぼののチーズおかき”だったようです。

 カーリング娘の場合は、パッケージに特徴があるのためすぐに“赤いサイロ”と判明したのですが、YOSHIKI様の場合は、個包装になったものを拾い上げて食べているので、“どこの何のお菓子”かを特定することは簡単ではなかったのです。かなり難度は高かったと思うのですが、探し出した人がいました。そして、判明した時から注文が殺到し、販売サイトはダウンしてしまったのです。

さて、このもぐもぐタイムにおける一連の出来事には、いくつかの欲求の本質が関係しているものと思われます。

まず、ひとつ目ですが、“探し出したい”という欲求があると思います。二つ目は、“探し出したお菓子を知らしめたい”という欲求です。そして三つ目は、“もぐもぐタイムのお菓子を食べたい”という欲求です。

では、簡単にこの三つの欲求を考察してみたいと思います。

順序は逆になりますが、三つ目の欲求についてです。これは「美味しいものを食べたい」、「話題になったものを食べたい」という非常に単純な欲求だと思います。

 次にひとつ目の欲求です。これには、宝物探しや知恵の輪を外したいというような知的パズルを解きたいという欲求があると思われます。しかし、それだけではなく、二つ目の欲求と関係しているような気がします。

二つ目の欲求は、“探し出した情報を知らしめたい”というものですが、この欲求は、“知らしめたいから探し出したい”という構造になっているのではないかと思います。すなわち、知らしめたいという欲求が、より本質ということです。

では、人は何故“知らしめたい”と思うのでしょうか。それは、自分が喜ぶことより、自分以外の人を喜ばす方が幸せを感じるためではないでしょうか。

 人は、自分以外の人を喜ばせた時には、愛のホルモン“オキシトシン”が分泌され、そのことで幸せを感じるようです。自分を喜ばすことを行なってもオキシトシンは分泌されるのですが、それ以上に分泌されるのです。チーズおかきを探し出してその情報を拡散したいと思う背景には、喜んでもらえる人がいるという無意識の思いがあるのかもしれません。

 人には、愛のホルモン“オキシトシン”が分泌されるような行動を採るという欲求の本質があるのではないでしょうか。まさに、情けは人の為ならずです。

第48回(2018.01.21)  「鳥貴族でバイトしたらバイオリンが上達した」

 最近、テレビを見る時間が減っているのですが、たまたま見たある実話を紹介したある深夜の番組を基に、欲求の本質に迫ってみたいと思います。

 幼い頃よりバイオリン習っていたセレブな家庭で育ったお嬢様がいました。セレブな家庭なので、海外の貴族の方々とのお付き合いもあり、貴族の方々のパーティでは得意なバイオリンを披露することも普通にあったようです。

 コンサートでも演奏し、不定期ですが演奏による収入もあったということです。

 このように何不自由なく優雅に生活をしていたのですが、ある時ご両親が病気になり、そのことをきっかけに「自活できるようにならなければならない」という意識に芽生え、そして、それまで給料をもらう生活を経験したことがなかったお嬢様がバイト探しを始めました。

バイトを探した時に、貴族の方々とお付き合いの多かったお嬢様は、「鳥貴族」という名前を目にし「ここは、きっと貴族の方々へサービスを提供するお店だろう」と勝手に想像し、鳥貴族の某店舗に面接を受けに行きました。

もちろん、鳥貴族は、おつまみが一皿280円という庶民的な居酒屋であり、貴族とは何の縁もありません(ちなみに、社長がジャニーズ事務所所属のアイドルの父親であることでも有名ですが)。

 勘違いで面接を受けてしまったお嬢様ですが、世間ずれがなく、またまじめな性格なため、そのままバイトをすることになりました。何の仕事をしたかというと鶏の肉を骨からはぎ取り、指先で肉をもみながら味付けを行なう、あるいはつくねをつくるという仕込みの作業です。肉の味付け作業は、相当の指に力が必要となる作業のようです。

このバイトは、ご両親に内緒で行なっていたのですが、ある日、血だらけのエプロンを見つけられてしまいました。このこともきっかけとなり、鳥貴族のバイトを9カ月で辞めることになりました。

ところが、鳥貴族を辞めて改めてバイオリンを弾いたところ、お母さんがバイオリンの音色の変化に気づき、「あなたバイオリン上手くなったわねえ」と言ったそうです。

実際に音色が良くなったのですが、その要因はどこにあったのでしょうか。

そうです、鳥貴族のバイトで行なった鶏肉の仕込み作業によって、指先の筋肉が鍛えられためです。

それまでは、全身の力を使うように押さえていた玄を、指の力が強くなったため余裕を持って押さえられるようになり、そのことで音色が良くなったということです。

私は、この話が面白くて仕方ありませんでした。

そのひとつの理由は、“合理的思考とは異なる世界の話だから”だと思います。

合理的思考で考えると「洋式トイレのフタは不要」ということになります。しかし、無いと美しくないと感じる人がいます。

 人は、合理的ではないモノやコトを求める欲求を持っているのではないかと思います。そして、合理的ではないモノやコトを求める欲求に応えていくことを意識することが、企業には益々必要になっていくものと感じます。そのためには、“合理的思考力”だけではなく、“感じる力”が改めて重要になるのではないでしょうか。

第47回(2017.10.01)  「新規事業のアイデアは議論するほど平凡になる」

 新しい商品・サービスや事業のアイデアは、ユニークさや差別性を意識して発想されることが多いと思われます。すなわち、他社や他者が考えないような尖った(とがった)アイデアを発案したいと思い、考えることが多いと思われます。

さて、このように尖ったアイデアですが、複数人で議論していくと次第に角(かど)が取れて平凡なアイデアになっていくように感じます。一見、議論すれば洗練されていくようにも思うのですが、現実はどちらかというと、丸くて平凡なアイデアになっていくことが多いと感じます。議論していくに連れ、どんどん尖っていくということはほとんどないようです。もちろん、話がどんどん脱線していくことは、よくあります。

ところで、何故、新規事業のアイデアは議論をするほど平凡になってしまうのでしょうか。

そこには、自分の思考の枠組みに当てはまるようにアイデアを変質化していくことで、自分の気持ちを落ち着かせたいという欲求の本質があるからではないでしょうか。

 新規事業のアイデアは、「成長分野に乗っているものが良い」、「変化に沿ったものが良い」、「自社との関連性が強いものが良い」など、常識的評価の枠組みがあり、その評価の枠組みに沿うように思考するため、次第に平凡になってしまうのではないでしょうか。すなわち、評価の考え方、枠組みが平凡であり、そのためアイデアが平凡になってしまうのではないかということです。

 新規事業のアイデアを考える場合、顧客の欲求の本質に沿うことは非常に大切なことです。しかし、評価者側の欲求の本質に沿わないアイデアの方が、尖ったアイデアをキープできるかもしれません。この場合は、評価者の欲求の本質に沿わないことを目指すことになってしまいます。

一方、平凡なアイデアを提案すると、評価者側から「平凡でつまらない」という答えが返ってきます。この辺の思考回路は、実に複雑です。どこか非凡な要素、尖った要素を探しているという欲求も間違いなくあると感じます。

なお、この尖った要素ですが、企業によって求める要素の種類が異なっていると感じます。では、どのような企業が、どのような尖った要素を求めるのでしょうか。このことについては、別の機会で考察してみたいと思います。

第46回(2017.09.06)  「タクシーに“家まで”と行き先を告げる高齢者」

 地方出張に行った時は、タクシーに乗る機会も多くなります。今回は、関西地方でタクシーに乗った時にタクシードライバーの方から聞いた話を書いてみます。

 タクシーが多く停まっていたので、乗った際に「今日は待っているタクシー多いですね」と言うと、「今日は木曜日だからです。病院が午前中で終わるので午後は乗る人が減るのです」という返事が返って来ました。実は、その駅周辺のタクシーを利用する人は高齢者が多く、そのほとんどが病院との往復に利用するということでした。

次にドライバーの方が言ったのが「でも、困ることもあるんだよね。“どこまで行きますか”って行くと“家まで”って、言われるんだ。新人のドライバーは、分からないので教えて欲しいというと、会社にクレームが入るんだ」ということでした。

「いつも利用しているのだから、顔で行き先を判断して欲しい」ということのようです。行きつけのバーに行って「マスター、いつもの」と言うのと同じ感覚のようです。

さて、これは、どのような欲求に基づいているのでしょうか。「特別扱いをして欲しい」ああるいは「特別扱いが心地いい」という欲求の本質があるのかもしれません。

ただし、それをドライバーが特定できないタクシーにまで求めることには、ちょっと驚きではありました。

なお、この行き先を家までと告げる高齢者の方々は、走るルートも指定することが多く、知らずに異なるルートで行った場合は会社にクレームの電話をするそうです。

 ここまで来ると、わがままなのかニーズなのか、よく分からなくなりますが、お客様の視点に立つと、満たされていない欲求が存在していることになります。

なお、顔認証等現代の技術を利用すれば、上記ニーズに応える仕組みを作ることは、それほど難しくはないと思われます。

 タクシーに乗った時に「運転手さん、いつもの」と告げる、さらには自動運転のタクシーに向かって「いつもの」という時代が、近い将来には訪れるのかもしれません。

第45回(2017.09.05)  「何故人は芸術に魅かれるのか」

 芸術には、様々なものがあります。絵画、俳句、短歌、クラシックバレエ、音楽、彫刻など多種あります。これら多くの芸術は、長い期間生き続けており、工業品のようなプロダクト・ライフサイクルという法則は当てはまらないようです。

ところで、芸術というものは、どのようにして生まれたのでしょうか。どこまで本当かは分かりませんが、私が聞いたことをここでは書いてみます。

 時間は、常に流れています。そして、時間の流れに連れ、自然界は常に変化しています。すなわち、同じ一瞬は二度と訪れないということです。どうも、このことが芸術と関係しているようです。

たとえば、ご来光を拝めるために富士山に登り、天候も良く見事なご来光を拝めることができたとします。その時、人は写真を撮りますが、その理由は「この素晴らしい一瞬を残しておきたい」という欲求から、そのような行動をしていると思われます。

 実は、人には「二度と出会うことのないこの“一瞬”を残しておきたい」という本質的欲求があり、この欲求を満たすために生まれた芸術が絵画というものだということです。絵画は絵に残すのですが、それを言葉で残したものが俳句や短歌ということになります。

すなわち、芸術は人間の欲求の本質に沿ったものであり、そのために生き続けているのではないかと推察されます。

 そのように考えると、人が写真を撮りたがるという行動も、とても理解しやすくなります。

なお、先月、青森県の十和田市現代美術館に行って来ました。そこには、巨大な人物像やフラワーホース(花でつくった馬の像)があり、とても楽しみました。また、有名は“田んぼアート”も見て来ました。これらの芸術は、“一瞬を残しておきたい”という欲求とは異なるものと思われます。このことについての欲求の本質については、別の機会で述べてみたいと思います。

第44回(2015.07.01)  「流しのイケ面珈琲店の小さな成長物語」

 山陰地方のある珈琲店の話です。本日は、この珈琲店の小さな成長物語についてお話をしていきます。

 ある若者が、流しの珈琲店を始めました。これは、夜の歓楽街の飲み屋を一軒一軒訪問し、飲食の最後の締めに、淹れたてのおいしい珈琲を売るという商売です。いわゆる無店舗珈琲ショップです。

 北島三郎さんが、流しの歌手であったことは有名な話ですが、流しの珈琲店は、おそらく、これまでにない業態と思います。

 私はセミナー等で、「新しいビジネスモデルは、既存の要素の新しい組合せである」ということをよく言っていますが、この珈琲店も既存の要素の新しい組合せと言えます。

 珈琲店という業態は以前からあります。珈琲の出前もあります。一方、流しの歌手や流しのタバコの販売なども以前からあります。しかし、“流し”の“珈琲店”という組合せは存在しませんでした。そして、この組合せが新しい価値をもたらす業態になったと捉えることができます。

さて、この珈琲店ですが、豆や挽き方、水のこだわり等があったこともあり、“おいしい”ということで評判になり、やがて店舗を持つようになりました。

本質的欲求を満足する商品と売り方を提供していたために、小さな成功を収めたものと思われます。

 店舗を持ってしまう普通の業態になってしまいますが、豆はもちろんのこと、豆の挽き方、フィルター、淹れ方(サイフォンかドリップか)などの各々の要素においてバリエーションを持ち、それらを顧客に選択してもらうという売り方をすることで、こだわりをアピールし、珈琲通の人達を中心的な安定顧客として獲得していきました。また、マスターがイケ面であるという付加価値もあり(この付加価値が大きいのかもしれませんが)、カウンター席は、常連の女子達がシェアすることも多くなっているようです。

このように珈琲店としては尖がった存在となっていったのです。

しかし、珈琲にこだわるため、珈琲しか頭になく、珈琲しか販売していませんでした。ところが、そこにスコーンしか頭になく、スコーンしか製造販売していなかった尖がったスコーン店から、「ウチのスコーンをメニュー加えて、珈琲とセットで販売してもらえないか」という提案があったのです。その提案を喜んで受け入れました。

 珈琲店としては付加価値メニューが増え、尖ったスコーン好きの顧客も来店するようになり、小さな発展へとつながって行ったのです。このストーリーは現在も進行しています。

 “尖がった珈琲”と“尖がったスコーン”がフュージョンすることで、小さなイノベーションが起きたのでした。

第43回(2014.07.02)  「犬は“マミムメモ”が聞き取れないという話」

 先日、我が家に新しくオスの子犬が家族に加わりました。生まれて3か月程度ですので、とてもかわいい存在となっており、この子犬目当ての来訪者が非常に増えています。

さて、本日は、この子犬の名前をつける時の話をしてみます。

 子犬は来る前から、どんな名前にするかを家族で検討していました。家族みんなから様々な名前が候補として挙がってきました。

カタカナ名がいい、いや、漢字名がいいなど、特に条件も定めなかったため、極めて幅広い名前が挙がってきてしまいました。

ちなみに、私が提案した名前は“ももぞう”です。

“ももぞう”という名前は、私以外の家族はどうも気に入らないという感情も持っていたようです。しかし、単に「嫌だ」では説得力がなく、また、そもそも、どんな観点で選んだら良いかということが決まっていないため、選定に迷うという状態でした。

その時、たまたま私の奥さんが、美容院で「犬には聞き取れない音(おん)がある」という話を聞いてきました。

 犬は、マ行(マミムメモ)とパ行(パピプペポ)が聞き取れないと言うのです。また、バビブベボなどの濁音については、ほとんどすべて同じ濁音と捉えてしまうと言うのです。そのため、もし、禁止のコマンドとして、「ダメ」という言葉を使っているとすると、どんな濁音も「ダメ」と聞こえてしまうそうです。従って、名前が“バビー”だった場合は、名前を呼ばれる度に、叱られていると思ってしまう可能性があるということです。

 実は、この話を聞いた直ぐ後に犬を飼っていた友人から電話がありました。この家では、2匹の犬を飼っていたのですが、その内の1匹が名前を呼んでも反応が鈍かったと言っていたのです。その2匹の犬の名前は、“モモ”と“ナナ”であり、何と、反応が鈍かったには、マ行の“モモ”だったのです。

この事実を聞いたことにより、美容院の話の信ぴょう性が急速に高まり、そのことにより名前選定の観点が明確になり、そして、選定作業が一気に進んでいきました。

ちなみに“ももぞう”は、秒殺でした。

さて、話を新規事業開発に移してみます。

 新規事業テーマや研究開発テーマにおいては、評価というプロセスが必ずあります。しかし、この評価は意外に苦労します。何故なら、「どの程度の数が売れるのか」という市場性や「競合に対する優位性を担保できるのか」という競争優位性などは不確実性が高く、事前の評価が極めて難しいためです。

この場合、一般的には評価のための情報が足りないということで、情報収集を追加するという行動が採られます。しかし、残念ながら市場性を判断できる情報収集などは難しく、もしくは存在せず、従って、不確実性のレベルはあまり下がらないのです。

 このような場合には、基準が明確な新たな評価の観点を加えることを推奨しています。これは、犬の名前が新たな観点で選定が容易になったことと通じています。

なお、どのような観点を追加したら良いかについては、別の機会にお話しできればと思います。