第50回(2018.08.26)  「人は理解できないことは否定する」

 「人は理解できないことは否定する」という傾向があるようです。もちろん、理解できないことに出会った時、「時間と労力をかけてもそのことを理解しよう」、あるいは「理解できない理由は何なのだろうか」ということを追求する人もいます。しかし、多くの人は否定してしまうようです。

たとえば、コスプレも今ではひとつの文化のようになっていますが、まだマイナーな頃は、「あの人たち、何考えているの」、「他にやることないの」ということを言った人たちは多かったと記憶しています。単純に否定する人たちがいました。

 自分で理解できないことを否定することは難しいか簡単かと問われれば、簡単な作業のように感じます。最後には「自分は嫌いだ」と言って好き嫌いの世界に持ち込めば、それで終わりすることができます。

では、人は何故理解できないことを否定する傾向があるのでしょうか。それは、否定することで理解できない自分を納得させて、心を安定化させるためのようです。すなわち、理解できないことがストレスを産み、そのストレスを否定することによって解消してしまうことができるためです。

実は、このような傾向は、新規事業開発の分野にも存在しているように感じます。

 「新規事業テーマの提案を社内で行なっても、ほとんどが否定される」という話をよく耳にします。そして、否定された担当者からは「否定することは簡単だよな」ということもよく聞きます。

 テーマを否定する理由は様々ですが、中には「テーマが理解できないから否定する」というケースもあるのではないでしょうか。たとえば、メーカーの新規事業担当者が、20代後半の女性向けの健康サロン事業を社内に提案した際に、「自分の娘に聞いたとしても、このサロンを利用したいとは絶対に言わない」というような表現で否定されることがありますが、これなどは、評価する側がテーマを理解できず、そのことで心が不快なっていることが背景にあると推察されます。

 人は、体や心が不快な方向に変化した時には、それを快適に戻す機能が備わっており、それは欲求の本質でもあります。この機能は、健康を維持するには極めて大切な機能です。しかし、イノベーションという不快な作業を推進するにあたっては、障害になる機能という見方もできます。

 イノベーションが難しい理由のひとつには、「心を快適に戻したい」という欲求の本質が影響しているのかもしれません。