第37回(2013.01.07)   お寺のお賽銭での買い物

明けましておめでとうございます。

 昨年同様、皆様の皆様の発展に寄与できるよう努めてまいりたいと思います。今年も、よろしくお願い申し上げます。

さて、2013年という新しい年が始まりましたが、私は新年のカウントダウンを茨城県にある鹿島神宮で迎えました。

 江戸時代においては、”神宮”という名の付く神社は、伊勢神宮、香取神宮、鹿島神宮の3つしかなく、由緒のある神社のようです。その鹿島神宮でカウントダウンを迎えることは初めての経験だったのですが、中々気持ちのよいものでした。

ところで、新年早々、愛知県の神社では、お札やお守りなどの売上金約330万円が盗まれたという事件がありました。このニュースを見た時に、「売上金」と言っていることに、若干の違和感を覚えました。確かに売上金かもしれませんが、売上なら、「粗利は何パーセントあるのか」、と思わず突っ込みたくなります。恐らく、相当に高い粗利率だと思いますが。

そもそも、神社でお札を購入する時は、巫女さんは、「1,000円をお納めください」という言い方をして、「1,000円いただきます」や「ちょうど1,000円になります」などの言い方はしません。ましてや「毎度、ありがとうございます」などの言い方は決してしないと思われます。

 神様に手を合わせるという行為は、日本人のDNAに組み込まれているという話しがありますが、お札の購入なども神事のひとつですので、上記のような心遣いや気遣いがなされているのであり、日本人としては、演出とは思いつつも理解できるものと言えます。

ちなみに、我が家の近くにあるお寺の奥さんは、かなり汚れた小銭を多数持ってきて、近所のコンビニでよく買い物をしているようです。しかも、家族の人数分のプリンなどを購入するそうです。

このことを聞いた時には、せめて、お金をきれいにして買いに行って欲しい、せめて、銀行で両替してから買いに行って欲しい、せめて、もう少し遠くのコンビニを利用して欲しい、せめてお賽銭箱の中をきれいしてお金が汚れないようにして欲しい、せめて、檀家さんが食べるようなふりをして多くの個数を買って欲しい、などとお願いをしたくなってしまいました。

 ウルトラマンショーが終わった舞台の裏で、ウルトラマンがチャックを外して顔を出している姿を子供に見られてはいけないように、お寺の奥さんも、もう少し気を遣って欲しいとい思ってしまいます。

 心遣いや気遣いのやり取りということだと思いますが、このことは日本人の持つ欲求の本質であり、ビジネスにおいての基本動作なのかもしれません。