第29回(2009.09.29) “国民”という耳心地のいい言葉

 実質的に初めてとなる政権交代が起きましたが、それまでの約1年間は、政局が大きく揺れ動いていました。揺れ動くその過程では、“国民”という言葉を非常に多くの回数耳にしました。ということで、今回は、この“国民”という言葉をDeep Thinkingしてみたいと思います。

 「国民の皆様のために」と言われれば、本当に実現できるかと疑いつつも、どの人も「それは、有難い」と思うものです。何故なら、「国民のため」という言葉が使われた場合、ほとんどの人達は、「自分のため」と考えるためです。
 しかし、一口に国民と言っても、「都市部に住む人、地方に住む人」、「民間企業に勤める人、公益法人に勤める人、公務員の人」、「子供、高齢者」、「ダムの建設予定地から渋々転居した人、ダムと無縁な人」、「公共事業が収益の中心の会社に勤める人、民間需要が収益の中心の会社に勤める人」、「経営者、従業員」など、様々なセグメントが可能ですが、これらすべてが国民です。ところが、このように“国民”をセグメントしてみると、利害が反するセグメントが当然存在することになります。


 このようなことは、考えれば誰にも分かることですが、「国民のために」と抽象的に言われると、「自分の都合の良いことをしてくれる」と思ってしまう習性があるようです。
 そもそも、“国民”とは“日本国民”を指しており、全体集合を“世界の人”と捉えれば、国民の補集合は“日本国籍を持たない人”になるので、国民のためではない政治は、日本国民以外の外国人のための政治になってしまいます。
 では、何故、「国民のために」という言葉を聞くと、「自分に都合のよいこと」と考えてしまうのでしょうか。色々な要因はあると思いますが、ひとつには、気持ちを安定させるという無意識の心理が働くためと思われます。


 日頃、不安や不満を感じている人は多いと思いますが、それを和らげるような考え方をする本能に近い傾向があるようです。この心理を悪用されると、「このままでは、2年以内に癌で死ぬ」と言われ、その不安を和らげるために大金を払って怪しい団体に入会してしまうのです。これは、悪用した例ですが、当然、健全なビジネスにも利用できるものです。

「朝バナナ」など、様々なダイエット法が現れていますが、これも、取りあえず信じて実行することで気持ちが安定化する、という欲求が背景にあるように思います。

「気持ちを安定に保ちたい」ということは、無意識の欲求であり、これを解決する手段を付加することができれば、新たな付加価値として認識されると思われます。

新しい商品やサービスを企画する際に利用できる心理として、考慮に入れてもいいかもしれません。