第30回(2010.09.21)  “反小沢”と“親小沢”という構図

民主党の党首選も終わり、新しい体制での日本の政治がスタートしました。

民主党になってから様々のことがありましたが、マスコミ各社からは、“反小沢”、“脱小沢”、“親小沢”など、小沢議員を中心とした勢力争いに関すものが非常に多く露出されたように感じます。

特に、菅内閣が発足した最近は、これらの言葉が頻繁に登場しています。

今回は、この“反小沢”と“親小沢”という構図について、Deep Thinkingしてみたいと思います。

テレビのニュース番組やワイドショーでは、民主党の幹部級の議員を招き、閣僚人事について盛んに「脱小沢という意志を表した人事と捉えていいのでしょうか」と質問しています。

 質問された議員は、「我々は、そんなことを考える余裕はなく、全力で菅総理を支えるだけです」と繰り返し答えています。そのように答えているのにも関わらず「でも、ホンネでは、脱小沢を意図しているのでしょう」と、こちらも繰り返し質問しています。

 このやり取りを見て感じることは、もしかすると報道する側に「2つの相対するグループが存在し、その勢力争いが起きている」ということを印象づけようとしているのではないかということです。

 仮に、そうだとすると、何故、報道各社はそのように印象づけようとするのでしょうか。それは恐らく、勢力が拮抗する2つのグループの権力争いという状態を、人は本質的に好きなためです。

源平の戦い、川中島の戦いなどはどちらも、拮抗する2つの勢力の争いであり、今も語り継がれている日本人が好きな歴史的事実です。

また、拮抗するグループが、「成り上がりとエリート」、「善人と悪人」、「腕力自慢と頭脳自慢」など、著しく異なる性質が対立するような場合、自分の好みも入り込むため、益々面白いと感じる話になってきます。もし、今回の報道が、この「欲求の本質」を利用して興味を惹くために行なわれていたとすると、必ずしも客観的な情報ではないということになってしまいます。

本件については、真実かどうかは分かりませんが、一見客観的に見える情報も、必ずしも客観的な情報ではない可能性もあるということを認識して考察することが必要かもしれません。

新規事業開発においても、情報を収集し考察することはよくあります。その際には、本当に客観的な情報なのかどうかを一度Deep Thinkingし、その上で活用することが大切なのではないでしょうか。通説は、必ずしも正しいとは限らないのです。