第9回(2007.02.28) 「罰(バチ)があたる」

 開運関連の商品やサービスが売れています。昔からあるお守りや破魔矢などは当然のこと、開運ペンダント、ツキを呼ぶ絵画、パワーストーン、風水、そして、運気を上げるために改名する人、さらには、出版物も、ありがとうの効用など、運気を呼び込む行ないを書いた書物も大変人気となっています。

 このような開運関連の商品・サービス・コンテンツが、売れるのは何故でしょうか。それは、当然ながら、自分が望むような人生がおくれるようになりたい、平たく言えば、「幸せになりたい」という欲求があるためと思われます。しかし、このような欲求の裏には、もうひとつの欲求が加わっているように思われます。それは、「楽して」ということです。すなわち、「楽して幸せになりたい」という欲求です。この欲求は、特に現代は特に強くなっているように感じられます。

 このことを証明するかのように、「罰(バチ)があたる」という言葉が使われなくなったように思われます。マナーを守らない、自分勝手な振る舞い、目上の人を大切にしない、あるいは、言いつけを守らないなど、道徳に反するような行ないをした場合に、必ず「そんなことをすると、いつか罰(バチ)があたるぞ」と言われたものです。ところが、最近、この言葉はほとんど死後になっています。

 「自分は、身勝手に振舞いたい、それでいて楽して幸せになりたい」ということが現代人の相当数の人が持つ心理なのでしょうか。

 欲求に応えることで、商売をしようとすることがマーケティングの基本だとすると、このような“身勝手な欲求”に応えていくことが正しいということになります。しかし、一方では、「カルマの法則(苦しみを与えれば苦しみが、喜びを与えれば喜びが返る)」などを説いている人達がおり、これもまた、商売になっています。

 便利な生活をしたいという欲求を追求する過程で、環境問題が発生し、今度は、環境改善が商売になる。身勝手な振る舞いをする人が、環境貢献に対して熱心に活動する。人の欲求は、多面的ということなのでしょうか。