第2回(2004.08.24) 「トリビアの泉の不思議 その2」

 前回に引き続き、トリビアの泉の不思議について考えてみたいと思います。

 前回の最後に書いたように、一般に情報番組と言えば、いかに生活に役に立つ情報を面白く提供するかということがポイントになるのですが、「トリビアの泉」は、ムダな情報を提供するというコンセプトを打ち出し、それが見事にあたっています。

 しかし、何故ムダな情報や知識を提供するという情報番組が、高い視聴率を取ることができるのでしょうか。このことについて、考えてみたいと思います。

 まず、ムダな情報や知識というのは、本当に何の役にも立たないのでしょうか。

 たとえば、トリビアの泉で扱われた問題は、翌日には、番組を見なかった人に対して会話の中で一種のクイズとして登場することが多いと思われます。これは、コミュニケーションのための軽い“ネタ”として活用されていると解釈できます。生活に役立つ情報というのも、会話の中に登場してくることも当然ありますが、ムダな知識でも脳を刺激するような意外性のある話題であれば、会話を円滑化させるという大変重要な役割があるものと思われます。むしろ軽いネタの方が、会話を円滑化させるには効果的かもしれません。すなわち、ムダな情報や知識も決して無駄にはなっていないということです。

 ただし、ここでちょっと気になることは、果たしてこれらのムダな情報が有料であったらどういう状態になるかということです。恐らく、生活に役立つ情報というのは、強くニーズを持っている人がおり、この人達にとってはお金を出してでも入手したいと思うのではないかと想像します。しかし、ムダな情報や知識が有料であった場合には、そこにお金を払う人達はあまりいないのではないかと思われます。

 事業を考える場合には、お金を払う人達がどの程度いるかということがもっとも基本的な要素になります。今回のトリビアの泉は無料のために、これだけ多くの視聴者を獲得できているものと思われます。

そして、多くの視聴者がいることに広告スポンサーは価値を見出すものであり、ムダな情報は間接的にも大きな役に立っている訳です。