第34回(2012.02.17)   “輪っかおばあちゃん”と“名前おばあちゃん”(固定観念の落とし穴)

 あるデイケアセンターで起きた本当の話です。

 デイケアセンターとは、高齢者の方が日帰りで訪れて、囲碁を楽しむ、カラオケを楽しむ、マッサージを受けるなどして、楽しく過ごすための施設です。よって、朝来て、夕方に帰っていくということになります。

 冬はコートやジャンパー等のアウターを着てくることになりますが、帰る際は自分のアウターを確認して着て帰ることになります。

 実は、この帰り際のシーンで、ちょっとしたトラブルが発生しました。

 職員の人が帰り際に「このコートは誰のですか」と声を掛けた時に「私のです」と手を挙げて取りに来たおばあちゃんがいました。しかし、もうひとり「いや、それは私のだよ」と主張するおばあちゃんが出てきました。

 最初に手を挙げたおばあちゃんは「私はひもを輪っかにしてあるので、これが目印だ」と言いました(以後、輪っかおばあちゃん)。すると2番目に手を挙げたおばあちゃんは「私は名前が書いてあるので、それを見れば分かる」と言いました(以後、名前おばあちゃん)。

 名前おばあちゃんは、コートにある名前を探し始めました。しかし、見つかりません。この時、形勢は輪っかおばあちゃんに有利になっていました。しかし、名前を探している時、輪っかおばあちゃんがコートの背中にあるシミを見つけて、「あっ、こんな所にミシがある。私のコートにはシミなんかなかった」と言い出しました。

この瞬間、形勢は急激に名前おばあちゃんに有利になってきました。しかし、どちらも決め手がありません。スタッフに人達も、何とか双方の意見から、どちらの所有のものかと探ろうとしたのですが、決定的な証拠が見つかりません。そのため、「家族の人に来てもらって、はっきりさせるしかない」という意見が出始めていました。

このような雰囲気になった時、近くにいたおばあちゃん(以後、第三者おばあちゃん)が、名前おばあちゃんに向かって次のことを言いました。

「あんた、そのコート今日着てきたのか。」

すると、名前おばあちゃんは、「今日?・・・、着てきていない」と答えました。

ここ瞬間、周りは安堵の笑いが広がり、一件落着となりました。

もう、お気づきのように、ここで注目すべきは、「あんた、そのコート今日着てきたのか。」と言った第三者おばあちゃんです。

 スタッフの人達は、2人のおばあちゃんの証言とコートの特徴とを結びつけようと発想で、懸命に双方の意見を聞いていたのですが、第三おばあちゃんは、「着て来たか、着て来ていないか」という観点で質問をしたのです。前者は、固定観念に囚われた発想であり、後者は固定観念に囚われない発想と思われます。

 固定観念は、別の見方をすれば人と同じ発想につながります。独自性のあるニーズの発掘や欲求の本質に気づくには、固定観念に囚われない発想が重要になります。是非、第三者おばあちゃんのような観点を常に持っていたいものです。