第7回(2001.12.19) 「思い出をつくる」

 小中学生の頃には使ったものの、大人になって使わなくなった言葉に「思い出をつくろう」があると思います。今回は、この「思い出をつくる」を少し、掘り下げて考えてみたいと思います。

 今年の夏に天海祐希主演の「女王の教室」というドラマが放映されました。内容については賛否両論がありましたが、大変、高い視聴率を取ったドラマでした。

 ストーリーを簡単に言いますと、天海祐希扮する担任の鬼教師(まるで、悪魔のような教師なのですが)に、そのクラスの小学6年生の生徒が戦いを挑むというものです。しかし、鬼のように感じる教師は、「本当に必要なことは、子供達の自立心を芽生えさせること」であると考えており、そのために、つらく接していたのでした。生徒のことを病気になるほどまできめ細かく観察し、見守っており、そのことが生徒達にも知られていくことなどを通じて、生徒達との信頼関係も生まれ、最後は生徒達に感謝される存在になるというものです。ドラマの終盤には、生徒達に信頼されるようになるのですが、それまでは、まさに生徒達は、敵に戦いを挑むという心境であり、状況でした。

 さて、戦いを挑む際の生徒建達の動機なのですが、それは、「小学校生活最後の6年生で、思い出が何もつくれないなんて嫌だ」というものでした。すなわち、思い出をつくりたい、あるいは思い出を残したいという気持ちが、「先生の言いなりにはならないぞ」という反発心の原動力になっていたのです。

 どうも、この思い出をつくりたいという欲求は、理屈なしに、子供にも大人にも存在しているように感じます。子供は、その欲求を素直に言葉に表すことが多いのだと思います。

 では、何故、人は“思い出をつくりたい”と考えるのでしょうか。まずは、このことについて考えてみたいと思います。

 そもそも、“思い出”とは、“思い出したい事柄”ということであり、従って、“思い出をつくる”とは、“思い出したい事柄をつくる”ということだと考えます。「思い出したくない事柄を積極的につくりたい」とは考えにくく、やはり“思い出したい事柄をつくる”ことを“思い出をつくる”と表現しているものと思われます。

では、何故、人は“思い出したい事柄”をつくりたいと思うのでしょうか。それは、当然ながら、その事柄が、価値を持っているためです。

 グループでつくった思い出であれば、そのグループの人間関係をつなぐ大切な道具になりますし、またコミュニケーションのネタになり、楽しい時間づくりの道具にもなります。あるいは、一人で思い出す場合には、恐らく精神の安定化につながるものではないでしょうか。多くの場合、やや落ち込んだ時に思い出を利用しており、落ち込んだ気持ちを安定化させることに役に立つ道具になっているように感じます。

 いずれにしても、楽しさや癒しという精神の清涼剤としての価値があり、生きていく上において、大変有用な要素になるのではないかと思われます。