第42回(2014.05.02)  「勝手ながら福山雅治さんを考察させていただきます」

 さて、私事で恐縮ですが、先日さいたまスーパーアリーナで行われた“福山雅治さん“のコンサートに行って来ました。現在、全国ドームツアーを開催中ですが、どこのドーム会場も満員ということですので、その人気には改めて驚かされます。

 特に、何に驚くかと言えば、デビューから24年経っても人気が継続しており、それどころか益々高まっているということです。今回発売された「HUMAN」というアルバムは、オリコンチャート2週連続1位を獲得したということですが、これは人生で初ということです。

 このことからも、人気がむしろ高くなっている(ファン層が広がっている)ことが推察されます。

そこで、考えたくなってしまうことが、「何故、こんなに人気が継続するのであろうか」ということです。

 福山雅治さんは、ご存じのように、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、俳優、ラジオのパーソナリティ、写真家という多くの顔を持っています。要するに、歌が創れて、歌えて、演技ができて、しゃべれて、写真も撮れるということであり、多才な才能を持っているということです。

さて、この多才な才能の中で、基本価値と付加価値関係はどうなのかというと、やはり、音楽が基本価値であると感じます。音楽のクリエーターという基本価値があり、その上で、多くの付加価値があるので、トータルの魅力が高いということと思われます。しかし、ここで考察を終えてしまっては、何か物足りなさを感じます。そこで、もう少し、事実から考察を深めていくことにします。

 コンサートが始まり、福山雅治さんが登場した時に多くの女子達から聞こえてきたのは「ああ、やっぱり格好いい」という声でした。そして、歌い始めていない、前奏の段階で「マシャ、ありがとう」という声も聞かれました。これは、「顔を見せてくれてありがとう」という意味と思われます。そして、私の奥さんの知り合いが別の日のコンサートに行ったのですが、その人から来たメールは「私も、生で顔を拝ませてもらいました」です。

すなわち、音楽のクリエーターという基本価値の、さらに根本には、「格好いい」という価値があるということです。

ということで、前半の結論は、「もし、格好よくなければ、ここまで長く人気は続かなかったであろう」となります。

さて、話は後半に移ります。

 先ほど、新しいアルバム「HUMAN」が2週連続1位を獲得したということを書きましたが、これは、24年を経ても、継続的に良い楽曲が創作できているということを示していると思われます。曲作りに行き詰るクリエーターは多いと聞きますが、福山雅治さんは、視聴者の心に響く楽曲を創り続けているようです。

 この背景には、俳優やラジオパーソナリティなどの活動により、音楽とは異なる世界の情報や適度な刺激を得ており、また時に、俳優に重点を置いた活動をするなどにより、新鮮なインプットを、仕事をしながら得ているのということがあるのではないかと推察しています。

 新規事業のアイデアも、それだけを考え続けてもほとんど良いものは浮かんできません。やはり、異業種の人達と交流する、異分野の情報を得て考察するなど、適度に新しいインプットの刺激を得ることが必要ではないかと感じます。

ということで、今年も、異業種が交流しながら事業モデルを検討する「事業化プロデューサー養成講座」を開催します。是非、次の項目のご案内をお読みください。

第41回(2014.02.12)  「“常識ギャップ”の存在」

 ソチオリンピックが、次第に盛り上げってきているようです。世界最高レベルの技を見ることができ、順位を付けるという刺激があり、さらに国や地域に対する愛着という要素も加わった、大変優れたコンテンツというのがオリンピックであるのでしょうか。

このように様々なコンテンツをDeep Thinkingしてみることも面白いかもしれませんが、今回は、オリンピックが始まる前の岡崎朋美さんを追った番組にて、ちょっと感じたことをDeep Thinkingしてみたいと思います。

 岡崎朋美さんはご存じのように、スピードスケートで5度のオリンピックに出場しており、2010年には女児を出産しましたが、子供を育てながら今回のオリンピックへの出場を目指していたママさんアスリートです。番組は、オリンピックを目指す岡崎朋美さんを追跡するものでした。

 番組中で、子供に食事を与えるシーンがあったのですが、2歳の女の子は、食事に集中しませんでした。その時に岡崎さんが言った言葉が「ちゃんと食べないと、もうYOU TUBE見せないよ」というものでした。

言うことを聞かない子供に対して、多少の脅しをかけることはよくあることと思いますが、しかし、「YOU TUBE見せないよ」が、脅しになることに多少驚きを感じました。恐らく、この言葉は、現在子育てをしているママさんにとっては常識なのだと思います。

 私の常識では、「お菓子食べさせないよ」、「テレビ見せないよ」、「おもちゃ買ってあげないよ」などが脅しになると感じます。そのため、「YOU TUBE見せないよ」は、まったく頭に浮かびません。すなわち、現在子育て中の親と20年前に子育てをした親とでは、“常識ギャップ”が存在するということです。

実は、この常識ギャップは、会社の中にも多く存在しています。そして、このギャップがイノベーションの阻害要因になっていることもあると思われます。

 阻害要因になってしまう理由のひとつに、「常識ギャップは、論理では埋まらない」ということがあります。論理で埋まらないため、この常識ギャップは「感性の違い」や「価値観の違い」などと表現されてしまいます。「感性の違い」と言われてしまうと、議論のしようがなくなってしまい、結局声の大きい方の意見が通ってしまうということにつながっていきます。

 弊社としては、この常識ギャップを減らしていきたいと思っていますが、その取り掛かりとして、まずは「常識ギャップ」という言葉を広めていくことが必要ではないかと感じています。

第40回(2014.02.03)  「STAP細胞の発見の背景にある非常識への挑戦」

 STAP細胞発見のニュースがメディアに大きく取り上げられています。今回は、旬な話題ということで、この件について考察してみたいと思います。

 小保方さんをリーダーとする研究ユニットが発見したSTAP細胞を、連日マスメディアは報道していますが、この件は、マスメディアが飛びつく多くの要素を持っていると感じます。

 研究の成果の素晴らしさや実用性、将来性はもちろんのこと、リケジョ、かわいい、祖母からもらった“かっぽう着”、指輪のブランド、幸運を呼ぶペットの亀、苦難の連続、粘り強さ、支援者の存在など、魅力ある要素が満載状態となっています。

 私は、商品やサービスの価値を基本価値(基本機能)と付加価値(付加機能)に分けて考察しますが、STAP細胞は、研究成果の実用性、将来性という機能価値に加え、リケジョや幸運を呼ぶペット亀など、たくさんの付加価値があります。

すなわち、優れた基本価値に加え、魅力ある付加価値も多くあり、そのためコンテンツとしては大変優れたものになっているということであり、このことが、メディアが着目する大きな理由のひとつではないかと思っています。

さて、この偉大な発見ですが、私が注目したことは「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄していると酷評された」ということと、その愚弄にも関わらず、それまでの細胞学の常識に逆らった研究を続け、大きな発見に結びつけたということです。

やはり、イノベーションの大きな障壁のひとつは、常識や通説という頭にこびりついた基礎知識にあるのではないかと改めて感じてしまいました。

 弊社では、この度「“90%が賛成するテーマは成功しない”という現実を変える研究

 「~新規事業のテーマ評価を変革する検討会~」という検討会を開催しますが、この会の最大のテーマが“常識、通説”を見直すということです。

 一般に、新規事業のテーマを評価する場合、市場の規模が大きく、成長性が高いテーマが魅力あるものと判定されます。しかし、世の中にない新しいカテゴリー商品が提案された場合、市場規模も成長性も評価できず、小さなパニック状態に陥ります。

このようなケースも、市場規模と成長性という項目で判断するという常識に囚われていると恐らく永遠に解決できません。

 一度信じた常識、通説を疑うことには大きな抵抗感があります。何故なら、過去の考えや行動を否定したくないという保身欲求があるためです。しかし、“社会に役立ちたい”、“人のためになることをしたい”という欲求は、保身欲求より強いものなのかもしれません。そのため、人はイノベーションを起こし続けているのかもしれません。

なお、上記検討会にご興味のある方は、ご連絡をいただければ幸いです。

第39回(2013.11.08)  「問題回避型と目的志向型」

 人は、「会社を興そう」、「英会話を始めよう」など、何かをやろうと奮い立つ時には、ほとんどの場合何らかの動機があります。今回は、この動機に関することで欲求の本質に迫ってみたいと思います。

 動機づけという観点から見た場合、人は大きく2つのタイプに分けられるといことです。ひとつは、問題回避型、もうひとつは目的志向型です。これは、ドイツのグスタフ・フェヒナーの快楽原則という考え方から導かれたタイプ分けのようです。

 問題回避型とは、将来起こり得るリスクに対して、それを回避したいということが強い動機付けになるタイプです。

たとえば、化粧品については、「今から小じわの手入れを始めておかないと10年後は、大変なことになりますよ」というようなトークをされるとリスク回避スイッチが入り、その化粧品を買ってしまうようなタイプです。

これに対して目的志向型は、将来に対する不安感にはあまり反応しない。それよりも、「美魔女になり、街で振り返られる自分を想像してみませんか」というようなトークにスイッチが入り、そのためなら、と化粧品を買ってしまうタイプの人です。

 この2つのタイプのことを知っていれば、相手のタイプによって営業のトークを変え、それにより成約率を高めることが可能となるわけです。

なお、このタイプは、どちらが良いというものではなく、単なるスイッチが入るツボの違いということです。

この動機づけのタイプは、本能的なものであり、欲求の本質のひとつ側面と捉えることができると思われます。

 新規事業の企画を通すには、当然、意思決定者の承認を得なければなりませんが、その人のタイプを知っておくことは大切かもしれません。たとえば、新規事業に取り組む目的の論理展開を問題回避型と目的志向型によって、変えることは有効かもしれません。あるいは、新規事業のテーマもタイプによって選ぶことも大切かもしれません。たとえば、“保険”という商品は、問題回避型の人の方が、スイッチが入りやすいと思われます。このように、商品特性も踏まえて提案することが、企画案を通す確率を高めることにつながるかもしれません。

第38回(2013.10.02)  「笑うと免疫力が高まる」

 今回は、健康の話題で書いてみたいと思います。

「笑うことは、健康にいい」という話は、何となく耳にしたことはあるのではないでしょうか。実は、笑うことは免疫力を高める効果があり、このことは学術的にも証明されているようです。この笑いは、無理に笑顔をつくるという強制的なものでも効果があり、そのため、病気の治療法として笑いを採り入れている病院もあるそうです。

このように健康に効果的な笑いですが、よく考えてみると、「笑うことを止めた」という人に会ったことがありません。

 「ちょっとした悪口がたたって、人生が大きく狂ってしまった」などの経験をした人は、「これからの人生、人の悪口を言うのは止めた」と誓いを立てることはあるでしょう。また、「これからの結婚生活において、妻に対して怒りをぶつけることは絶対にしない」という誓いを立てた、ということは実際に聞いたこともあります。

しかし、「俺は、これからの人生、一切笑わない、人を笑わすことも絶対にしない」という宣言をした人は見たことがありません。

逆に、「人と話をした時は、必ず1回は笑わせる」と目標を立てている人はいそうです。大阪のお母さんは、子供の話に落ちがないとがっかりするそうです。「真実よりも面白さ」を求めているかのようです。

 多くの人は、面白いこと、笑うことは好きなようですが、人は、笑うという行為が身体に良いということを本能的に知っているために、笑いを求めているのかもしれません。すなわち、そこに本質的欲求があるということです。

お酒の席では、素面(しらふ)の時の会話より笑いが増えますが、もしかするとお酒を飲みたいと思う理由にひとつに笑いたいという欲求があるのかもしれません。

また、美容院などの接客業も、笑わせてもらえることが店舗選びに要素になっている場合はあるかもしれません。

どうも、笑いは、さりげない付加価値としてビジネスの中に存在しているようです。

 笑いという付加価値を意識してビジネスを考えるという取組み方があってもいいかもしれません。

第37回(2013.01.07)   お寺のお賽銭での買い物

明けましておめでとうございます。

 昨年同様、皆様の皆様の発展に寄与できるよう努めてまいりたいと思います。今年も、よろしくお願い申し上げます。

さて、2013年という新しい年が始まりましたが、私は新年のカウントダウンを茨城県にある鹿島神宮で迎えました。

 江戸時代においては、”神宮”という名の付く神社は、伊勢神宮、香取神宮、鹿島神宮の3つしかなく、由緒のある神社のようです。その鹿島神宮でカウントダウンを迎えることは初めての経験だったのですが、中々気持ちのよいものでした。

ところで、新年早々、愛知県の神社では、お札やお守りなどの売上金約330万円が盗まれたという事件がありました。このニュースを見た時に、「売上金」と言っていることに、若干の違和感を覚えました。確かに売上金かもしれませんが、売上なら、「粗利は何パーセントあるのか」、と思わず突っ込みたくなります。恐らく、相当に高い粗利率だと思いますが。

そもそも、神社でお札を購入する時は、巫女さんは、「1,000円をお納めください」という言い方をして、「1,000円いただきます」や「ちょうど1,000円になります」などの言い方はしません。ましてや「毎度、ありがとうございます」などの言い方は決してしないと思われます。

 神様に手を合わせるという行為は、日本人のDNAに組み込まれているという話しがありますが、お札の購入なども神事のひとつですので、上記のような心遣いや気遣いがなされているのであり、日本人としては、演出とは思いつつも理解できるものと言えます。

ちなみに、我が家の近くにあるお寺の奥さんは、かなり汚れた小銭を多数持ってきて、近所のコンビニでよく買い物をしているようです。しかも、家族の人数分のプリンなどを購入するそうです。

このことを聞いた時には、せめて、お金をきれいにして買いに行って欲しい、せめて、銀行で両替してから買いに行って欲しい、せめて、もう少し遠くのコンビニを利用して欲しい、せめてお賽銭箱の中をきれいしてお金が汚れないようにして欲しい、せめて、檀家さんが食べるようなふりをして多くの個数を買って欲しい、などとお願いをしたくなってしまいました。

 ウルトラマンショーが終わった舞台の裏で、ウルトラマンがチャックを外して顔を出している姿を子供に見られてはいけないように、お寺の奥さんも、もう少し気を遣って欲しいとい思ってしまいます。

 心遣いや気遣いのやり取りということだと思いますが、このことは日本人の持つ欲求の本質であり、ビジネスにおいての基本動作なのかもしれません。

第36回(2012.10.13)   田んぼと芸術とビジネスシステム

 新潟の越後妻有地区では、3年に1回、「大地の芸術祭の里」という芸術祭が開かれています。今年の芸術祭は9月で終了しましたが、若い世代から、親子連れ、老夫婦など、幅広い年代の人たちが多く訪れました。

 今年の目玉作品のひとつに、「棚田」があります。今回は、この棚田と芸術とビジネスシステムについて考察してみたいと思います。

 棚田とは、山の斜面を利用した田んぼであり、水平面をつくらないと田んぼはできないため、山を削って階段状にしてつくった田んぼのことです。田んぼではありますが、段々畑とも言うそうです。新潟は山が多いこともあり、この棚田が多く存在しています。

 新潟の越後妻有地区に北向きの棚田がありました。この棚田の持ち主は、米をつくることを止めようと思い始めていました。理由は、この棚田が北向きに面しており収穫の効率があまり良くないことと、持ち主である自分も年老いてきたことにありました。

しかし、そのように思っている時に、ウクライナの芸術家がその棚田を訪れた時に、「これは美しい。芸術だ」と感じたそうです。

そして、その芸術家は、棚田の脇や道に彫刻のオブジェをつくりました。さらに、ネット(インターネットではなく、本当の網)に“詩”を書き、このネット越しに芸術となった棚田を見るというビュースポットをつくりました。「文字を書いた網戸を通して庭を見る」というようなイメージです。私も、この写真を見て、是非行きたいという衝動に駆られ、実際に行ってしまった訳です。

当然、その棚田を見に来る人は次第に増えて行きました。見に来てくれる人が増えてくると、もう止めようと思っていた棚田の持ち主は、俄然やる気が出てくることになります。この気持ちはよく理解できますし、人間の持つ本質的欲求のひとつと思います。

 中学生の頃、陸上競技場で長距離走の競技を行なうと、応援がある正面側になると急にスピードを上げて数人を抜いて行くのですが、応援がない向こう正面に行くとその倍の人数に抜かれる男子がいましたが、このような気持ちと通じる所があるかもしれません。

さて、棚田の続きですが、棚田を鑑賞する人達が増えてくると、その棚田が見えるレストランができ、そして、そのレストランでは、芸術棚田から収穫された米を提供するということになっていきました。

 米を栽培するという基本機能の面では非効率であったものが、芸術という付加価値が加わることにより価値が多重になり、そして新たなビジネスシステムが出来上がったという、非常に興味深い例ではないかと思います。

ちなみに、我が家でも網戸に文字を書こうと提案しましたが、当然、却下されました。

第35回(2012.06.16)  「駆け落ち」って死語になった?

 最近、「駆け落ちして結婚した」という例を聞かなくなったような気がします。それに比べて「できちゃった婚」はとても増えています。

 「駆け落ち婚」が減少しているとすると、その原因はどこにあるのでしょうか。今回は、この「駆け落ち婚」についてDeep Thinkingしたいと思います。

 合コンは、何十年も前から行なわれていましたが、その内容は少しずつ変化してきています。特に、最近の大きな変化は、本人の合コンではなく親同士の合コンが増えているということです。これは、親が新しい出会いを見つけるという怪しげなものではなく、自分の子供のために親同士が合コンするというものです。

では、親同士の合コンで何が話し合われているのでしょうか。子供の好みのタイプの情報を交換し合うのでしょうか。それとも、占いによる相性診断の結果を持ち寄るのでしょうか。いずれも、ちょっと違うようです。それは、どうも実家の事情に適合する相手を探すための情報交換がなされているようです。

たとえば、「ウチの主人は開業医なのですが、跡取りになる息子がいなくて困っています」という希望を持つ人に対しては、「大学病院に勤めている次男」を持つ親が候補に挙がり、そこで親同士が話し合いを行ないます。

あるいは、一人娘しかいない本家の家では、「本家に養子を迎えたい」という希望を持ち、その条件を満たす人が候補に挙がり親同士が話し合いを行なうことになります。

なお、親同士の話し合いは、双方の条件だけでなく、二人が住む家のこと、結婚の費用のこと、お墓の世話のことなど、家同士に関することはほとんど話し合いが行なわれ、当人同士が会う段階では、家同士に関することは、ほとんど決まった状態になっているようです。このような経過を経てお見合いしたカップルの成婚率は、非常の高いそうです。

 成婚率が高いことから考えても、確かに親同士の合コンは合理的かもしれません。結婚にあたっての障害になりそうなことを事前に整理している訳ですから。

しかし、ここで成婚率においてもうひとつ重要な要素は、子供が素直に親の勧めに従って結婚をするということです。「親が決めた相手などと、結婚なんかしない」という若者が減ってきているということなのでしょうか。

 このように考えた時に浮かんだことは、「最近、“駆け落ち”という言葉を聞かないなあ」ということです。「親の反対を押し切り、生活用品も資金もほとんど持たずに、家出同然で愛に走る」という激情型の恋愛や結婚は減って来ているのでしょうか。

 このような現象にも、世の中の経済事情が影響しているのかもしれません。

第34回(2012.02.17)   “輪っかおばあちゃん”と“名前おばあちゃん”(固定観念の落とし穴)

 あるデイケアセンターで起きた本当の話です。

 デイケアセンターとは、高齢者の方が日帰りで訪れて、囲碁を楽しむ、カラオケを楽しむ、マッサージを受けるなどして、楽しく過ごすための施設です。よって、朝来て、夕方に帰っていくということになります。

 冬はコートやジャンパー等のアウターを着てくることになりますが、帰る際は自分のアウターを確認して着て帰ることになります。

 実は、この帰り際のシーンで、ちょっとしたトラブルが発生しました。

 職員の人が帰り際に「このコートは誰のですか」と声を掛けた時に「私のです」と手を挙げて取りに来たおばあちゃんがいました。しかし、もうひとり「いや、それは私のだよ」と主張するおばあちゃんが出てきました。

 最初に手を挙げたおばあちゃんは「私はひもを輪っかにしてあるので、これが目印だ」と言いました(以後、輪っかおばあちゃん)。すると2番目に手を挙げたおばあちゃんは「私は名前が書いてあるので、それを見れば分かる」と言いました(以後、名前おばあちゃん)。

 名前おばあちゃんは、コートにある名前を探し始めました。しかし、見つかりません。この時、形勢は輪っかおばあちゃんに有利になっていました。しかし、名前を探している時、輪っかおばあちゃんがコートの背中にあるシミを見つけて、「あっ、こんな所にミシがある。私のコートにはシミなんかなかった」と言い出しました。

この瞬間、形勢は急激に名前おばあちゃんに有利になってきました。しかし、どちらも決め手がありません。スタッフに人達も、何とか双方の意見から、どちらの所有のものかと探ろうとしたのですが、決定的な証拠が見つかりません。そのため、「家族の人に来てもらって、はっきりさせるしかない」という意見が出始めていました。

このような雰囲気になった時、近くにいたおばあちゃん(以後、第三者おばあちゃん)が、名前おばあちゃんに向かって次のことを言いました。

「あんた、そのコート今日着てきたのか。」

すると、名前おばあちゃんは、「今日?・・・、着てきていない」と答えました。

ここ瞬間、周りは安堵の笑いが広がり、一件落着となりました。

もう、お気づきのように、ここで注目すべきは、「あんた、そのコート今日着てきたのか。」と言った第三者おばあちゃんです。

 スタッフの人達は、2人のおばあちゃんの証言とコートの特徴とを結びつけようと発想で、懸命に双方の意見を聞いていたのですが、第三おばあちゃんは、「着て来たか、着て来ていないか」という観点で質問をしたのです。前者は、固定観念に囚われた発想であり、後者は固定観念に囚われない発想と思われます。

 固定観念は、別の見方をすれば人と同じ発想につながります。独自性のあるニーズの発掘や欲求の本質に気づくには、固定観念に囚われない発想が重要になります。是非、第三者おばあちゃんのような観点を常に持っていたいものです。

第32回(2011.04.02)   車に乗ったキャッチセールス

 先日、永田町のグランドプリンス赤坂(通称:赤坂プリンス)の近くを歩いていた時の出来事についてお話します。

私が歩道を歩いていると、黒塗りの高級車が私の横に止まり、助手席から突然『ちょっと、もらって欲しいものがあるのだけど』と声をかけてきました。

声をかけてきた人は、サラリーマンではないことは一目瞭然でした。

当然ながら、不安と警戒心を持ちながら「何ですか?」と返事をしました。

 すると手に用意していたケースを空け、『このペアの腕時計、もらってくれない』と言ってきました。ブランドは忘れてしまいましたが、それなりに高級な時計に見えました。すると、次に、また用意してあった牛皮のサイフを取り出し『これも一緒にもらってよ』と言ってきました。これも、かなりの高級品という印象でした。

当然ながら、

「こんなもの、もらう縁(ゆかり)はないですよ」と軽く答えると、『いや、俺持っていてもしようがないしさ。それに、おたく、まじめそうだからさ』

と、ほとんど答えにならない返事が返ってきまして、「まじめが理由かよ」と頭の中では突っ込みなどを入れていました。

こうなってくると、次はどのような展開になるのか非常に興味が湧いてきました。先を見てみたいという欲求の本質が強く芽生えてきた訳です。「“すべらない話”のネタになるのではないか」そのようなことまで、頭に浮かんできました。
そんなことを考えている間もなく、次には、これまた高級と思われるビジネスバックが座席の横から登場し、『これも、もらってよ』と言ってきました。

私としては、次の展開が知りたいので、「太っ腹にびっくり」と軽い返事をすると、ようやく本論に方に入ってきました。

『これ、みんなあげるのだけど、俺、今胸をケガしていて・・・』

この瞬間、「治療代援助してよ」と言ってくるのかと想像したのですが、

『今、動けないので、申し訳ないけど、運転手にビール代だけでいいから、あげてくれない』と言ってきました。

なるほど、これが“落ち”だったということが分かり、知りたい欲求は充足された次第です。

当然ながら、これらのモノは、法的に問題のあるモノだと思われます。しかし、モノを販売するのではなく、恵まれない運転手のビール代をおごってもらうという収益モデルになっていたという訳です。やはり、それなりに考えられていると感じました。

なお、『ビール代あげてくれない』というお願いには、「今、千円しか持っていない」と答えました。

すると、腕時計、サイフ、ビジネスバックは元の通りに箱にしまわれ、助手席の窓は閉まり、高級車は国道246の方に走り去って行きました。

皆様も、車に乗ったキャッチセールスには十分にご注意を。