【朝日新聞・西日本版 2003.7.31】
スピンオフ 大企業を飛び出せ(変わるカイシャ’03)
進藤達也さん(42)は2年前、初めて社長の名刺を持った。独立直前は、富士通のソフト開発の担当部長。83年早稲田大理工学部を出て富士通研究所に入り、主にスーパーコンピューターのソフト開発に携わった。ところが、コンピューター業界の主流は、パソコンに移ってきた。小型化、高速化、低価格化で、専門は生かしにくくなった。このままだと、自分の持つ技術が腐ってしまう。技術を市場の厳しい風に当てれば、出口も見えるだろう。そんな気持ちで、東京・渋谷に「アクセラテクノロジ」を設立した。「大企業にいる多くの技術者に、飛び出す勇気を教えたい。まず自分が成功しないと」と話す。経験を生かし、高速検索システムを売る。社名には「先進技術でお客様の仕事を加速(アクセラレート)させる」という思いを込めた。当初の資本金は1千万円で、富士通が49%出資。1億4千万円に増資した今も、富士通が34%持つ。年商は01年度が1億8千万円、02年度は5億円で、1年目から黒字を達成。来年は売上高7億円が目標だ。社員は7人から25人に増えた。株式の公開も目指す。
■古巣との連携
アクセラは、親会社がすべてを決める社内ベンチャーではない。経営判断は進藤さんが責任をもち、事業に失敗しても復職はできない。だが、完全に独立しているわけでもない。富士通から出向社員を受け入れ、強力な販売網も利用する。ベンチャーの失敗の多くは、創業時に運転資金が足りなくなったり、営業力がなかったりすることに起因する。その教訓が生きている。富士通から見ると、アクセラが上場すれば、株式譲渡益が期待できる。大企業は市場規模が小さな分野にこだわる余裕はない。技術のシーズ(種)を殺さず、優秀な人材が外に出てリスクをとりながら「すき間」を狙う。アクセラは典型例だ。こうして独立した会社は「スピンオフ・ベンチャー」と呼ばれる。スピンオフは、切り離し独立する、という意味。米国では80年代の停滞期に多く生まれた。大学発ベンチャーとともに今、米国経済を支える活力だ。
日本のスピンオフの元祖と呼ばれているのは、横浜市のアドテックス。ハードディスクの技術を生かしたストレージと呼ばれる外部記憶装置の会社だ。日本IBM藤沢事業所のハードディスク開発・製造部門から、長谷川房彦社長(59)らが93年にスピンオフした。連結売上高は133億円。社員46人で創業した後、フィリピンに拠点を設け、いま約300人が働く。01年には当時のナスダックジャパンに上場した。長谷川社長は「大企業にはいい素材(技術や人材)がたくさんある。スピンオフが活発になることには大賛成。親元と独立した側が互いに自立し、『ウイン・ウイン(両方に利益がある)』の関係を築くことが成功のカギだ」と話す。
■独立お手伝い
スピンオフ・ベンチャー支援を事業にする動きも出てきた。三菱商事は今年2月、全額出資で「テクノロジー・アライアンス・グループ」を設立。会社から独立したい技術者に、資金や経営面での助言を与える。
コンサルタント会社の「BCJコンサルティング」は昨年、スピンオフ・ベンチャーの支援を始めた。同社は親元企業からスピンオフした社員が、スピンオフ支援専門の会社「リーディング・イノベーション」を8月に設立する。
経済産業省は今年1月、「スピンオフ研究会」を発足させた。4月にできた報告書のサブタイトルには「大企業文化からの解放」と書き込まれた。小泉政権の「骨太方針」にも6月、スピンオフ・ベンチャー支援が初めて盛り込まれた。
■挑戦できる環境整備を
「スピンオフ革命」の著書がある前田昇・大阪市立大教授(新事業構築論)の話
「追いつき、追い越せ」の時代は、ベンチャーよりも大企業が仕組みとして適していたが、フロントランナーとして切り開く役回りになると、通用しなくなった。スピンオフ・ベンチャーが活躍すれば、大企業側も刺激を受ける。ただ、大企業にいる優秀な人材は自信がないのでなかなか飛び出せない。超一流の人材が外で挑戦できる環境整備も重要だ。国家としての変革システムが必要で、税制、教育のあり方を見直す時期がきている。日本は対国内総生産(GDP)比で高水準の研究開発投資を続けている国だが、もっと新産業に結びつくようにしなければいけない。
(朝日新聞・井上久男)